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正條の渡し場跡

明治のはじめまで、揖保川を渡る、旅人を乗せた高瀬舟が浮かんでいた。 数隻の高瀬舟が待機していたそうだが、大名行列にもなると舟が足りず対岸の村から借りていたそう。 当時は室津道と山陽道とが交わる地点で、交通の要所となりかなりの賑わいがあったそう。 正條の渡し場跡 〒671-1621 兵庫県たつの市揖保川町正條 ▷パーチから車で8分(専用の駐車場はありません) ...
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大坂城の石

豊臣秀吉が大阪城を築いた時の石垣の石として船で運んでおり、その道中の「室の泊」で海中に落としたものと言い伝えられている。 室津周辺では石切場は確認されていないため、北九州あるいは瀬戸内海島嶼部の石切場からの運送途中だったのではないかと推測されている。 約400年もの間海底に沈んだままだったが、昭和47年の室津港の工事の際に引き揚げられたそう。 巨石を切り出す際にクサビである「矢」を使って石を割った...
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もやい石

室津に入港した北前船を係留する際、船の綱を繋ぎとめていた石のこと。 日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に登録されている構成文化財の1つである。 もやい石の全長は約180cmほどだが大きな船を繋ぎとめる為、ほとんどが地中に埋められ、地上に出ているのは約60cmほどだったそう。 昭和40年代頃の護岸工事の際に撤去されたものを現在展示されている。また、当時もやい石...
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城山城

“今も当時の跡を見れる兵庫県屈指の古代山城” https://youtu.be/8pvrSrhXXh8 城山城は赤松則祐が10年以上の歳月をかけ、兵庫県下屈指の山城として築いた古代朝鮮式山城の1つ。 もともとこの地には大和朝廷が唐・新羅の侵攻にそなえて築城した古代山城があったそう。 1441年に起きた「嘉吉の乱」では赤松満祐が籠城し、山名宗全らの軍勢に攻められ落城した。 その後、戦...
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古井家住宅

国指定・重要文化財にも認定されており、「千年家」とも呼ばれている。 三大千年家に入るほど民家としては全国的に見ても古く、室町末期のものと推定されている。 床下には亀石という大きな石があり火難の際に水を噴出して家を守ったという伝説があり、厄除けとして祀られている。 建物の規模から古井家は中世には長百姓の階層に属した家柄と推測されており、当時の農家の面影を感じることのできる貴重な文化財。 土曜・...
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永富家住宅

江戸時代後期の民家の代表的な建物として兵庫県文化財や国の重要文化財に指定されている。 入母屋本瓦葺、屁本瓦葺、孫屁棧瓦葺、玄関、中玄関、上段の間、座敷、鞘の間、仏間、中の間、台所等の23室と土間からなる。 主屋は1819年から1822年までかかって建築され、途中台風による修繕がやむを得なかったが、新築当時の姿を200年近く経った今でも保っている。 館内には、当時の生活用具も展示されている。 ...
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室津

港町として1300年の歴史がある室津。 奈良時代に行基法師が5つの港を整備したうちの1つが「室(室津)」。 最も賑わうのは江戸時代から。室津は海と陸の接点だったため、西国大名の多くが参勤交代の際に宿場町として室津に立ち寄ったことで栄え、日本最大級の宿場となった。 宿場におかれる本陣は通常1軒、2軒だったが、室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)もあった。 また朝鮮通信...
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湊口御番所跡

湊口御番所は、姫路藩が警備や見張りのために設置された番人が詰めるために設けられた番所だった跡地。 かつては龍福寺というお寺があったそう。 現在は跡地に、“もやい石”や“大坂城の石”が置かれている。 湊口御番所跡 〒671-1332 兵庫県たつの市御津町室津19 ▷パーチから車で24分 ...
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卯建

元々は隣接する民家の防火壁として建てられたが、卯建をあげるのがお金がかかるので、装飾として豪商が楽しむようになるように変わったそう。 なので、今現在も龍野の家々でデザインの違う卯建が今も龍野の街並みで楽しめる。 金銭的に恵まれる状況にならないことを「うだつがあがらない」といいますが、その言葉もこのことからできた言葉。 卯建 ▷パーチから徒歩圏内 ...
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ドラゴンウォーク

https://youtu.be/gXG97IUQo-U 「たつの市を知りたい!」そんな方にオススメしたい地元のおじいちゃん・おばあちゃんからお話が聞けるイベント 「昔はそんなことが!」「へ〜!」ってなることを一緒に歩いて・見て・聞ける。 下見として月1回開催されているイベントには、誰でも参加してOKだそう。 下見する場所や・集合場所・集合時間は毎月違うそうなので、詳細はFacebook...