“今も当時の跡を見れる兵庫県屈指の古代山城”
城山城は赤松則祐が10年以上の歳月をかけ、兵庫県下屈指の山城として築いた古代朝鮮式山城の1つ。
もともとこの地には大和朝廷が唐・新羅の侵攻にそなえて築城した古代山城があったそう。
1441年に起きた「嘉吉の乱」では赤松満祐が籠城し、山名宗全らの軍勢に攻められ落城した。
その後、戦国時代には尼子晴久が攻め落とし播磨攻略の拠点として使用されたが、尼子軍が撤退すると廃城となった。
石塁など古代山城の遺構と堀切など戦国時代の遺構が残っており、本丸跡には赤松一族らの供養塔がある。
毎年8月14・15日には赤松一族の霊を弔うための盆供養、さいれん坊主がおこなわれ、たつの市の無形文化財に指定されている。
城山城 登山
※地図等を用意し登って下さい。
※道のりも険しいので、運動靴以上のもので登って下さい。
下野田橋から登っていくと、城跡の案内図があり比較的わかりやすいです。
※他にも登山ルートはいくつかあります。

城跡巡りの方のオススメの登山口
〉下野田橋から山に入って行きます

※このような赤いテープやロープを目印に登って下さい

〉見張り岩

〉三基墓
本丸跡の赤松一族供養墓

〉礎石建物址
古文書には本堂が建っていたと記されており、本堂の礎石なのではと考えられている。

〉城内最大の堀切
堀切はいくつも見られるのですが、ここは城内最大とされている。

〉石塁C(石塁2)
全長41メートル、高さ3メートルの石塁が残っている。

〉門の築石
凹字状のの石材は唐居敷と呼ばれる構造のもの。高さの違う礎石を使い、門が外側に開かないように工夫されていたそう。
門の幅は、約2.7mあったそう。
城山城
〒679-4332 兵庫県たつの市新宮町馬立
▷パーチから登山口まで車で9分(専用の駐車場はありません)
城山城
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