2016年5月

「東日本大震災から5年経ちました」って、ニュース。

テレビで震災から5年経ったって、汚染された土が入った袋の山が映ってるニュースがやってて。

東日本大震災があった時は、学生で何もできなくって。5年経って社会人になって。その時もそんな力になれるほど成長してなかったけど、ニュースとか他の人が見たことに対しての意見じゃなくって、自分で見て自分が感じた意見を持ちたいって。

小さい頃、ほんと0才とか1才くらいの時に父の仕事の関係で福島に住んでたことがあるらしくって、そんなこともあって余計に。

当時のノートみたら、仙台空港から福島に向かって現地ではレンタカーで移動してたらしい。


滑走路までずっと土の色。

仙台空港に着陸する時に見た景色を今でも覚えてて。

海から空港の間まで、ずっと土の色。海の近くの空港って大体周りに何もないけど、そんな感じの何もないじゃなくって。

空港からレンタカー屋さんまで歩いてる道中も、津波の跡がわかる建物がそこら中に残ってる。津波がこの高さまできたんやってわかる線の入った建物も。


レンタカーを借りて、予約してた民宿に向かうことに。

この時泊まったのが、“農家民宿ゆんた”さん

オーナーさんは沖縄から移住してこられた方。ご飯付きのお宿さんでご飯が美味しかった!あとインテリアもオシャレで。オーナーさんの雰囲気がまたいいの!

晩にオーナーさんのお友達が来られて、たしかジュンさんってお名前だった気がする、、、

ジュンさんが面白いお兄さんで!数年連休とったことがないって。休みの日には職場から見える山登りに行って、仕事中にその山見たら満足するって。だから、逆に旅してる人の気持ちがわからんって。

(お互い全然わかり合えんくって、それが面白かった!もう1回会いたいもん。笑)


福島旅の目的がもう1つあって。

昔、住んでたアパートを見に行く!!!

とは言っても、0才・1才頃の記憶なんてないし。

当時住んでたのは南相馬市、アパートが残ってるかもわからん。

両親から聞いてたアパートの住所の近くまで行って、そっから両親とビデオ電話繋いでアパート探し!

アパートも当時のまんま残ってて、大家さんの家もあって!

大家さんに会ってみたい!

(記憶ないけど!笑)

大家さんの家のピンポン押して、ピンポンはなるけど反応がない。でも、家の中からテレビの音がする!!!

(正直めちゃめちゃドキドキした!!!けど!大家さんもお年寄りのはずやし、会えるチャンスってもうないかもしれん。)

もう1回ピンポン押したら、、、

「誰や!何回も!中入ってこい!!」って、家の中からど太い声で。

(うわぁ〜、めっちゃ怒ってる〜。けど、ここまで来て引き下がれやんし!!!)

玄関あけたら、オコタに入ってテレビ見てはるおじいちゃんが。

「何や!!」って。「昔住んでて、、、」って旨を説明したんやけど、おじいちゃん物忘れがはいってて。

「今そんな名前の人は住んでない!」って。「20年近く前に住んでたんです!」ってやりとりを2.3回して。

結局、私が昔アパートに住んでたって伝わらんかったけど、缶コーヒー出してもらって、おじいちゃんの近況をお聞きして、お礼言ってわかれた。

めちゃめちゃビビったけど、勇気ふり絞って良かった!


ニュースで流れてる情報から想像してたことと、実際は全然違った。

ゆんたさんのオーナーさんに福島旅してる目的を話ししたら、震災の話をしてくださって。

5年経ったその時でもまだ汚染処理は全然終わってなくって、先月ちょうど隣町の処理が終わったって。

津波がきた時に、海の近くの野球場が津波でものすごいことになったって。

実際車を走らせてても、ニュースで見てた汚染された土が入ってる袋は道中そこら辺にいっぱいあって。仮設住宅も残ってたし、住んでる気配もあった。「かしまの一本松」も見に行ったけど、海の近くは何もなくって。道路と土だけ。

私が想像してたのは、ニュースで切り取ってるとこだけがそんな状態なんやと思ってた。

福島旅帰ってきてから原子力発電について調べて。

どこをどう切り取るかで全然違って。やっぱりメリットもあるし、デメリットもある。

自分の目で見て、自分の意見を持っていきたい。と改めて感じた旅でした。

自分の目で見て、自分の意見を持ちたい【#福島県】
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